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中国の社会不和

天安門広場2万人規模集会計画 中国政府、直前で阻止

主催者逮捕、2300人拘束
 【北京=共同】北京市の天安門広場で七日、地方の官僚腐敗などに抗議する農民や労働者二万人の集会、デモが計画されたが、当局が前日に主催者を逮捕し、計約二千三百人を北京南駅や天安門広場周辺で拘束、集会が阻止されたことが十日までに、関係者の話で分かった。
 天安門での抗議集会は、計画自体が極めて異例。
 胡錦濤指導部が打ち出した「国民本位」「弱者重視」の姿勢が引き金となり、草の根の不満と権利意識が噴き出した形だ。七日は日中が対決したサッカーのアジア杯決勝と重なったこともあり、中国政府は力ずくで封じ込めたとみられる。
 中国では貧富の格差拡大を背景に、官僚腐敗や土地の強制収用に対する農民や住民の怒りが拡大。数年前から中央政府に直接窮状を訴える「直訴」が激増している。
 関係者によると、主催者で活動家の李小成氏は、多くの直訴住民が当局者から暴行され死亡したり、不法逮捕されたとして抗議集会を計画。七月後半、北京市に提出した集会とデモの申請書に中止命令などは出なかったが、今月六日になって「記者を装った公安当局者」に拘束されたという。
 申請書によると、デモを通じて直訴住民の窮状を中央政府や各国人権団体にアピールして、暴行され死亡した人たちへの賠償を求める予定だった。
 計画を人づてに聞いた全国の約二千人が六日夜から七日未明に北京南駅に着いたが、天安門広場周辺の約三百人も含め、待ち構えた公安当局が一斉に拘束したという。(産経新聞)
[8月11日3時13分更新]


さっそく社会不和が広がっているようですね~北京オリンピックまで持つでしょうか?
# by nobuhitodayo | 2004-08-11 06:20 | 時事問題

中国のアジアカップにおける暴走

 アジアカップにおいて、国家に対してブーイングをするなど、中国人の行き過ぎた行動が非難を浴びています。日本人も、ようやく中国人の反日が異常なものであると気づき始めていると思います。そう考えれば、今回の騒動は日本にとっても良いことだったと考えます。

 中国人の八割は農民です。沿岸部で華やかな経済成長を謳歌しているのは、ほんの一部の恵まれた人種です。今回のような事件は、中国の経済成長が進行すればするほど、増加していくものと考えられます。中国という国は、低所得の植民地を抱えているようなもので、内陸部と沿岸部では同じ国ではありません。経済格差も違えば、文化も全く異なります。沿岸部、内陸部どちらかが起点になるかわかりませんが、ちかい将来、必ず内部不和が生じるでしょう。

 内部不和はやがて、国外への覇権主義へと繋がります。日本はそのターゲットになるのは間違いありません。これを防ぐためには、アメリカとの同盟を強化し、中国とは距離を置くことが肝要です。石原都知事は「民度が低い」と言い放ちましたが、民主主義という土台が全くない中国では、このような騒ぎが今後日常茶飯事のように繰り返されるでしょう。民主主義が根付くのには、相当な時間がかかります。現在のような経済発展が、即民主主義の追い風になるとは考えられません。このまま順調に経済発展が続けば、反日が止むだろうという幻想は捨て去るべきです。


 
# by nobuhitodayo | 2004-08-10 19:46 | 時事問題

高齢者には寄付を奨励せよ!

 なぜ、日本の高齢者は貯金に励むのか?アンケート調査などでは、「老後が不安だから」という答えが圧倒的に多い。だが、平均的に見て日本人ほど老後不安の少ない国民はいない。老後の年金はどこよりも多いし、健康保険はあまねく普及している。持ち家の比率も高いし、子供の教育もしっかりとやっている。それなのに、70歳以上の人々がなお貯蓄を増やしているのは、「老後不安」だけでは説明できない。107歳と108歳でお亡くなりになった双子の姉妹、きんさんぎんさんも、死の直前まで「テレビ出演料は老後に備えて貯金します」といい続けてきた。「老後不安」は、一種の流行(社会主観)なのだ。

 では、高齢者の貯蓄熱の本当の理由は何か?恐らくその最大の要因は、高齢者がお金を出して得られる楽しみと誇りが少ないことだろう。

 規格大量生産型の近代工業社会を確立するに当たって、日本は3つの特色を創り上げた。
①官僚指導=業界協調の産業経済体制
②終身雇用、集団主義の日本式経営
③職場単属の職縁社会
以上の3つである。

 日本の高齢者のほとんどは、こうした世の中にどっぷりと浸ってその生涯を送ってきた。ひとつの職場に終身帰属し、職場と職業の縁で結ばれた人間関係に埋没し、情報も評判も楽しみもそのなかで得た。

 このため、定年を迎えて退職してみると、人間関係は途絶え、情報も楽しみもなくなってしまう。ゴルフに興じようにも誘うものも誘ってくれるものもいない。カラオケに行くにも酒を飲むにも、ともにする相手がいない。そのうえ、この国の娯楽観光業も職縁社会に適応して、職場職業で繋がる社用客用にできている。

 家庭でも高齢者には楽しみと誇りが乏しい。昔は、高齢者の持つ生活の知恵や人付き合いのノウハウが大切だったから、子も孫も教えを請うた。だが、今日のサラリーマンには子孫に教えるノウハウも伝えるべき人脈もない。

 孫の側から見れば、おじいさんおばあさんのところに行く必要性も楽しみもないから、ただでは寄り付かない。だから、高齢者の方は小遣いをやるかみやげを与えるか、物財で子や孫を誘おうとする。せめて住宅と貯金を残すことで、いささかの尊敬と存在感を保とうとする。老後の不安とは、友人がなくなり子や孫に無視される心配であり、それを解消するのが貯蓄なのだ。

 そうだとすれば、日本の貯蓄過剰を解消し、財政均衡を回復するためには、急増する高齢者が楽しみと誇りのある日本を送れるような社会構造とサービスの供給、誇りのもてるような社会貢献の方法を作ることが先決だろう。

 たとえば、寄付。諸外国では美術品から大学の講座まで、個人の寄付によって賄われているものは多いし、そのそれぞれに寄付者の氏名が誇らしげに表示されている。ところが、日本では寄付することで税金が免除されるのは、国が指定した特定の事業に限られるし、」寄付者氏名の表示も原則として認められない。「税金をとって、官僚の裁量で使うのが世のため国のためには最良である。社会に貢献する善意があれば、まず官僚に税金を差し出してからにしろ」というわけだ。

 免税は銭金の問題だけではない。寄付行為に対する社会の評価を高くすることこそ重大である。

堺屋 太一 「日本の盛衰」より


 日本の高齢者が金をもてあましているのは、周知の事実であります。高齢者の方の金が市場に回れば、日本の景気は幾分よくなるというのは誰もが言っていることだと思います。しかし、老後の不安というものは、社会システムの不備というよりは、一種の社会主観であると堺屋さんは言っています。今の政治では、年金や社会福祉がきちんとすれば、高齢者の方は安心してお金を使うようになると考えられていますが、今より手厚い社会福祉システムは不可能であるばかりか、仮に実現しても、あまった金が消費にまわることは考えにくいでしょう。

社会福祉システムを考えるのではなく、高齢者の金の使い道を提示してやるのが、政治または企業の戦略として、正しいものであると思います。「寄付」というものは、それを提示できるひとつの例であるといえます。
# by nobuhitodayo | 2004-07-27 19:06 | 時事問題

ダウンサイジング(人員削減)は有効か

 終身雇用制と聞くと、日本人は一様にだめな日本型モデルの典型として、それを排除する方向に躍起になってきたが、私はヒト資本を大切にする日本の経営者にたいして敬意を表してきた。日本の長期雇用モデルは労使関係をよりよくさせ、長期的には生産の向上に繋がると主張してきた。雇用の安定と引き換えに、労働者は賃金値上げの要求やストライキを控えるようになるからだ。
 日本の寛大な経営者達がとってきたこの制度は、言い換えれば、人材育成は会社育成への投資であり、その結果、従業員は会社への忠誠心から生産性を最大化させる。これは大きな強みといっていい。
カリフォルニア大学准教授 スティーブン・ボーゲル


 日本型経営モデルを外国人がこのように、理解してもらえるのは非常に心強いことです。会社の資本で一番大事なのは”ヒト”という経営資源だと思います。この資源を容易に手放すと、長期的には生産が落ちてしまいます。派閥などのばかげた組織の硬直化は避けたいですが、社員を大事にするという日本の基本路線はなんとしてでも守るべきだと思います。
# by nobuhitodayo | 2004-07-22 19:37 | 時事問題

森永卓郎氏のオタク産業のすすめ

 消費というものは無限に伸びる事は無い。例えば、三食食べたら満足になるので、無限には食べられない。飽和すると売れなくなる。しかし、フィギュアは無限に消費できるし、コスプレ衣装も無限に欲望も刺激する。セーラーマーズの衣装が手に入れば、次はセーラジュピターも欲しい。セーラームーンも欲しい。商品が無限に細分化して「レアモノ」に対する所有欲も無限に広がっていくんですね。こうした消費構造は、美術品や時計、ワインなどの金持ちの趣味に限られていたのですが、このオタクの世界が価値観を広く開放したのです。
 オタクの世界の特徴は、全員が需要者であり供給者でもあるということで、そこが従来の経済構造と違うんです。竹中平蔵さんの考える今までの経済学では、産業育成のために金融システムをしっかり作り、頭がよくてアイデアにあふれている人と金を結びつけて、新しいビジネスの芽を作り、それを一般大衆が買っていく。これは供給者の論理ですね。しかし、この発想自体が古い。OT(オタク産業)は有象無象の小さなものが需要者であり、同時に供給者でありながら、アメーバのようにどんどん広がっていく。ここが新しい。
 例えばアタッシュケースのハンドルを取り替えてオリジナルを作るトランスキットがある。それ専用のドライバーまでついている。ミニカーのホイールを取り替えて、ラリー仕様にするというように、マスプロダクツをちょっと変えて、自分オリジナルにするだけで個性を発揮できる。こうしたちょっとしたアイデアがすぐにビジネスになる。もちろん、すぐだめにもなるのですが、それこそが知的創造社会であると思います。ここでは。”商品寿命の短命化”、”成功確率の上昇”、”市場規模の小粒化”という3つが、同時進行で怒っている。


 テレビで大活躍の森永さんですが、氏の主張は非常に鋭いと思います。これからの需要は非常に読みにくくなってくるでしょう。私自身、フィギュアは興味ありませんが、好きな人は好きで、れっきとした市場が確立されています。こういう市場では何が売れるか予測できず、金融も非常にリスキーな立場に立たされることと思います。日本ではまだまだこういった産業構造の変化に対応しきれているとは、いえません。こう考えると国会での年金法案などは、将来保てるわけはありませんね~!政治家も含め日本人は、将来の社会構造がどうなっていくのかをまずしっかりさせるべきだと思います。
# by nobuhitodayo | 2004-07-20 21:31 | 時事問題